「疲労」と「疲労感」は単純にいってしまえば「身体的」と「脳内的」であるのだが、東洋医学では「腎の精が尽きる」という表現がある。これがまさに心神耗弱疲労困憊を表している用語で、
腎の精という。腎の精を現代医学に当てはめると、臓器や筋肉が一過性の副腎からの強壮系のホルモン放出等も間に合わないほどの運動能力、機能低下賀起こり、能力的な判断もおぼつかないという状態である。
東洋医学でいう「腎」は腎臓ももちろん含まれているし副腎皮質、副腎髄質そのものも含まれる。体が極端に酷使されれば、腎クリアランスも低下するのは当然であるからである。
心臓機能にしても、ストレスが長期に渡り疲弊すれば頻脈になったりするが、こちらは「肝の熱が上がる」と表現する。怒りや不安などから上から下に降りるべきエネルギーの流れが、下(肝)から心、頭(上)に上ってしまうことを指す。これを一言で「気逆(きぎゃく)」という。
気逆の状態が長く続けば「気滞(きたい)」が起こる。いわゆる行き場のないストレスのモヤモヤ感が常にうっ滞している状態で、長期化すればそれは「脳の疲弊」を起こし慢性的な疲労を生むのである。これが「慢性疲労」のもとになる訳である。