生活

「推し」ブームと「推せない」わたしの考え方。

最近、「推し」という言葉をよく聞く。

よく聞くだけではなく、本当に流行っているようだ。

小学生である息子のクラスでは、昨年度の流行語ランキング1位が「推し」だった。

流行ってますねぇ。

では、そもそも推しとはなんなのか。

好きなアイドルやアニメキャラクターを愛することや他人に推薦することなどから「推し」という言葉が生まれたようだ。

 

そんなこんなで最近、私には推しがいるのだろうか?

と考えることが増えた。

考えて考えて、やっと答えが見つかった気がするのでまとめてみようと思う。

 

私は、自分の推しを作ることが怖いのだ。

考えた結果「推すのが怖い」という結論に辿り着いた。

まとめていこう。

 

誰かやキャラクターを推す。

それは、今後なにがあっても付いていくということだと私は考えている。

今後、変化する可能性の少ない推しならまだしも、現在進行形の推しはリスキーだ。

なぜなら、「私の推しです!」と打ち出した人が、その後、大きく変化してしまい、自分の愛したはずの推しではなくなってしまうかもしれない。

極端にいうと嫌いになってしまうかもしれない。

そんなときに、過去の推しと変化してしまった推しを分けて考えることなどできない。

あなたの推しを知っている友人は、今後も推しに関する情報を伝えてくれるだろう。

そんなときに、「その情報はいらない。いまの推しは違う」などと馬鹿げた発言ができるのか?

コロコロと推しが変わる人間を誰が信用してくれるのだ?

あなたの信頼度を下げることにつながるだろう。

そう。

誰かを「推す」ことはリスクが高い行為なのだ。

 

私は好きな著名人やアーティストがいる。

あえて「推し」ではなく好きな人と言わせてもらう。

ちょっと書いてみるね。

カーペンターズ
マイケルジャクソン
ビリーアイリッシュ
ビートたけし
尾崎豊
星野源

 

この中で、今後変わることの考えにくい、カーペンターズやマイケルジャクソン、尾崎豊は「推し」といえる。

なぜなら、もうこの世にいないから変化しないことが理由だ。

ビートたけしさんも芸が確立されすぎていて、変化は考えにくい。

だから推しと言えるかもしれない。

でも変化しない、またはこの世にいない人を推しというのは「推しブーム」でいわれる意味合いとは違う気がする。

 

わたしは誰が見ても聞いても推しと言える人に今後出会えるのだろうか。

 

考えをまとめるために書いたのだが、また推しについて悩むことは続きそうだ。

皆さんには推しはいますか?

ぜひ、あなたの考えを教えてください。

 

 

※当記事は、noteからの転載記事です。

 

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